東京から神戸に移動すると、夕方がまだまだ明るい。時差があるからである。日本標準時は、この明石市を通る子午線をもとに定められているので、東京はそれよりも20分ぐらい時刻が進んでいるような感じになる。この博物館の前庭には、足元に子午線が刻まれている。
明石市立天文科学館:
日本標準時を刻む子午線上に建つ科学館である。ヘッダー画像には、シンボルとも言える時計台を配しているが、館内の写真もいくつか配していて、コンパクトながら、よくまとまっている。
東京から神戸に移動すると、夕方がまだまだ明るい。時差があるからである。日本標準時は、この明石市を通る子午線をもとに定められているので、東京はそれよりも20分ぐらい時刻が進んでいるような感じになる。この博物館の前庭には、足元に子午線が刻まれている。
明石市立天文科学館:
日本標準時を刻む子午線上に建つ科学館である。ヘッダー画像には、シンボルとも言える時計台を配しているが、館内の写真もいくつか配していて、コンパクトながら、よくまとまっている。
どこからだったとしても神戸の夜景が素晴らしいことには間違いないが、昼間の景色のうちで私がもっとも気に入っているのは、港みはらし台からの眺めである。ここからは、空と海と市街地が見える。そして、手前には丸い帽子のようなドームのある洋館が見える。場所は、異人館街から、さらに北側にある山道を入ったところにある。
港みはらし台:
北野異人館ネットという個人によるサイトでも紹介されている。
もう大昔のことになるが、このあたりの子どもたちは、一升瓶に使われているコルク栓からコルクを取り外して、王冠のようなものを集めて遊んでいた。遊び方というのは、目の前に置かれた相手の王冠の縁の部分に、自分の王冠の縁を押し当ててひっくり返すのである。ひっくり返すと自分の駒になる。この時どうしてもツルツル滑って、ひっくり返ってくれない王冠があった。それが剣菱であった。酒そのものには無縁でも、子どもたちにはよく知られた銘柄だったのである。
剣菱酒造株式会社:
http://www.kenbishi.co.jp/
500年という途方もない歴史を有する蔵元のため、画面は、水墨画のような趣になっている。「五百年」の文字がはっきりと読み取れる。
もう半世紀も前のことになるが、当時は、毎日のようにテレビアニメが放送されていた。その中でも特に人気があったのが、この「鉄人28号」である。私自身、ストーリーはまったく覚えていないが、とにかく必死になって観ていたことだけはよく覚えている。原作者の横山光輝が神戸市出身だったということで、その像が神戸市長田区内の公園に設置されている。
鉄人28号モニュメント:
https://www.city.kobe.lg.jp/h53961/kuyakusho/nagataku/jyouhou/tetsujin28.html
神戸市のホームページ内にも、その案内がある。これとは別に、神戸観光局による神戸公式観光サイトというのもあるが、こちらは神戸市役所からの直々の発信であり、公式感がより一層強いような気がする。「鉄人28号モニュメントができるまで」というような内容まで掲載されているからであろう。
神戸にもいくつかの城が築かれたようだが、どれも小規模なものだったようである。江戸時代にこのあたりで栄えた城下町と言えば、姫路が有名であり、神戸は開国後に発展した街なのである。ただ、お隣の明石まで足を運ぶと、明石駅のホームから二つの櫓が見える。歩いてみると、ここが大きな城だったことがよくわかる。
明石城:
https://www.akashijo.jp/index.html
ヘッダー画像には、南側からみた二つの櫓が配されている。天守閣は残っていないが、この櫓はとても立派であり、明石城がとても大きな城だったことがわかる。
神戸にとって、空港問題は大問題であった。関西にもハブ空港をというとき、その候補地として神戸が検討されていたのだが、騒音問題などを懸念して、地元では激しい反対運動が沸き起こった。その後、泉北沖に関西空港が完成した頃には、時代の空気も変わりはじめ、やはり、都市の持続的な発展のためには空港が不可欠として、改めて開港にこぎつけたわけだが、今では、伊丹空港と共に、関西空港の一部として運営されている。個人的には、結局のところ、これで良かったのではないかと思う。
神戸空港:
https://www.kairport.co.jp/
ヘッダー画像には、空港の写真ではなく、神戸ポートタワー周辺の景色が使われている。
神戸空港のロゴマークは、Kに由来しているようにも見えるが、これはおそらく、神戸市の市章と同じく、「兵庫」と「神戸」のふたつの港を組み合わせて作られたものではないかと思う。
日本史上、一瞬だけ神戸が日本の首都になったことがある。平清盛によるものである。『方丈記』には人災として、「南北に狭く、潮汐の音がうるさいところは行政に向かない(私訳)」と記録されているが、平清盛は、この地のメリットを認めていたのだろうと思う。
清盛塚(兵庫津の道を歩こうガイド):
https://hyogotsunomichi.info/oowadanotomari/kiyomoriduka/
ヘッダー画像には、明治初期のものと思われる貿易船の絵が使われている。個人の開設によるもので、商品や広告がないため、とても見やすい。
以前は、「六甲山人工スキー場」と呼ばれていた施設だが、今では、「六甲山スノーパーク」となっている。六甲山の山頂にあるので、すぐそこにあるという感じである。
https://www.rokkosan.com/ski/
六甲山スノーパーク:
ヘッダーの画像は、シーズンごとに変わるものの、シーズン中の変更はないようである。スライダーで、このスキー場の特徴を訴えている。